カテゴリ: 小説

めっっっちゃ面白かったです。毎ページ声をあげて笑いころげながら一気に読みました。例えば、副詞の多様は避けた方が良いという話の例に、

「そこへ置いて!」と、彼女は叫んだ。
「かえしてくれよ」と、彼は懇願した。「おれのじゃないか」
「冗談じゃないわ、ジェキル」と、アタースンは言い放った。

この文章では、"叫んだ"と"懇願した"と"言い放った"の三つが、会話を説明する言葉だ。これに副詞を加えるとどうなるか。

「そこへ置いて!」と、彼女は居丈高に叫んだ。
「かえしてくれよ」と、彼は卑屈に懇願した。「おれのじゃないか」
「冗談じゃないわ、ジェキル」と、アタースンは横柄に言い放った。

元の文章に比べて、あきらかに間の抜けた感じがする。理由は一目瞭然だろう。あまりにも陳腐であり、笑止千万としか言いようがない副詞のせいだ。(中略)
 作家のなかには、副詞無用のルールをかいくぐるために、動詞にステロイドをたっぷり注入する者がいる。結果はパルプ・フィクションやペーパーバックの書きおろしのお馴染みの文章が一丁あがりとなる。

「銃を降ろせ!アダースン!」とジェキルは凄んだ。
「キスをするのをやめないで!」と、シェイナはあえいだ。
「しつこいやつだな!」と、ビルは吐き捨てた。

これだけはやめてもらいたい。お願いだ。(p.167-168)

沢山の本が例として出てきて、著者は本当に本が好きなんだなぁと、感じました。世間的に格式高いとされている本も、駄作も臆せず実名と実例を出して批判するところも魅力的です。この本を読んでスティーヴン・キングのファンになりました。

「書くことについて」書くことは、作家にとって自叙伝のようなものだと思います。この本の執筆中に大事故にあったこともあってか、文章から、切実さ、誠実さ、力強さ、自信、感謝などを感じました。
ものを書くのは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人をつくるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊かにし、同時に書くものの人生も豊かにするためだ。立ち上がり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ。おわかりいただけるだろうか。幸せになるためなのだ。(p.358)

(第一部に、「履歴書」として自身の人生の話がありますが、これは今回とばしました。なので、これは第二部「書くこととは」以降の感想です)


書くことについて (小学館文庫)
スティーヴン キング
小学館
2013-07-05


これは自分と同じような精神、しかもはるかに強靭であり、ずっと論理的で、恐怖に怯えてなどいない精神が生み出したものなのだ。最上の書物とは、読者のすでに知っていることを教えてくれるものなのだ、と彼は悟った。(p. 308)

犯罪をした人を裁くということについて。犯罪者になった人々の傍にいる刑務官が主人公。
主人公は施設育ちなんだけど、同じ施設で、早くに引き取られた友人が自殺をする。死後、彼の日記が、主人公に送られてくるんだけど、読んでいてとても苦しくなる。複雑な生い立ちと、引き取られた先の夫婦の不仲、思春期の葛藤、、、。海の中で息ができなくて苦しくてもがいているような感じがした。
こんなことを、こんな混沌を、感じない人がいるのだろうか。善良で明るく、朗らかに生きている人が、いるんだろうか。たとえばこんなノートを読んで、なんだ汚い、暗い、気持ち悪い、とだけ、そういう風にだけ、思う人がいるのだろうか。僕は、そういう人になりたい。本当に、本当に、そういう人になりたい。これを読んで、馬鹿正直だとか、気持ち悪いとか思える人に……僕は幸福になりたい。
この言葉はとても印象的です。「混沌を感じない人がいる」のか、「善良で明るく、朗らかに生きている人がいるのか」私も日々疑問に思っていたからです。
この本の主人公とは切迫度が違いますが、私も、「人生は苦しみであり、それは固体が死んでも人類全体として永遠に続いていく」(悲劇の誕生 ニーチェ)と思っています。

それを以前、ある男性に話したら、
「僕は死にたいと思ったことはないし、《人生は苦しみ》とか考えたことないし、人生楽しいし、その考え方、全く分からない」
と言われて、びっくりしたのを思い出しました。人は誰でも《死にたいけど、頑張って生きている》と思っていたので。

でもその後で
「あ、でもしんどい時もあるかー」
などと、ポツリと言っていたので、そういう人でも、時と場合によっては違う答えをするかもしれません。


主人公が犯罪を犯しそうでありながらも、決定的なことをしなかったのは、施設の育て親の力が大きく描かれています。主人公の話を聞き、喜び、泣き、味方になり、駄目なことを叱り、芸術に触れる機会を与えたことが主人公に大切なものを育ませた。

物語の最後では、死刑囚が芸術に触れて、喜びを見つけます。妙に納得して、もっと芸術に触れようと思いました。

「銃」、「私の消滅」、「教団X」と読んで、社会への疑問と、犯罪を犯す人の普通さを描いている、作者の優しさを感じます。


何もかも憂鬱な夜に
中村 文則
集英社
2009-03


映画にもなった「白ゆき姫殺人事件」は、映画と原作の小説とで、ラストのシーンが違う。

会社の(白雪のように美しい)同僚、典子が殺された事件で、SNSや週刊誌によって、まるで犯人かのように、個人情報を公開されてしまう主人公、美姫(白雪姫を思わせる名前)。
週刊誌の記者に、友人や同僚、元恋人、両親までもが主人公、美姫の不利益になるような証言をする中、唯一、幼馴染の友人だけが害のある発言を控える。

映画のラストシーンでは、その幼馴染と美姫が、お互いを思いあうシーンがあるのだ。(原作にはこのシーンはない。美姫は、週刊誌記者が歪めて書いた記事を読んで、幼馴染を誤解したまま)
映画監督の作品への解釈が見えるところで、希望のある暖かい物語になり良かった。


私の考えは全然違って…

最終章で真犯人が捕まって、美姫の無実が判明されるのだけど、私は、美姫が故意的に、典子が殺害されるようにもっていったんじゃないかと思った。そういう風に考えられるように書かれている。

美姫は、眠った典子を乗せた車を、鍵をつけたまま、灯油をのせて、真犯人のガレージに置いた。美姫が真犯人と典子の関係が上手くいっていないことを知った後だった。美姫は典子に恋人を奪われるなど、精神的苦痛を受けていた。物語最後の美姫の言葉が意味深。
私は私がいた場所へ戻り、これまでと同じ日常が始まる。だけど。白ゆき姫はもういないー。

小説の形式は「籔の中」のように、登場人物がそれぞれ一人称で語る方式で、一つの事実が、それぞれの立場で全く違うように見えるというもの。 白ゆき姫殺人事件①
最終章は主人公目線で無実が書かれているんだけど、これまでの人の噂と食い違いが大きい。
そうであるなら、美姫目線の証言もまた、事実を自分の都合のよいように言っていると考えるのが打倒だと思う。

白ゆき姫殺人事件
湊 かなえ
集英社
2012-07-26



映画になった、湊かなえのミステリー。

映画を見たときは、原作が小説だということを知らず、「映画だからできるツイストだよなー」と思っていました。
大量のSNSや週刊誌の記事、登場人物ごとの視点の違いが、ツイストの重要な役割を担っていて、小説ではそれらをどういう風に文章に挟んでいるんだろうと、興味深々で読みました。

答えは、SNSや週刊誌の記事は巻末にまとめて記載してあり、章ごとに様々な登場人物が一人称で話をするという形でした。
読んでみると、シンプルで、これ以外に方法もないような気がします。

地の分はなく、被害者の知り合いのおしゃべりを、ひたすら読んでいくので、自分が事件の関係者に話を聴いているような経験をします。噂話の解釈や憶測など、一人ずつ話が少しずつ違って、真実が全く見えてこないままに、なんとなく怪しいとされている人が怪しく思えるという、現実的な錯覚を覚えて面白かったです。




↑このページのトップヘ