犯罪をした人を裁くということについて。犯罪者になった人々の傍にいる刑務官が主人公。
主人公は施設育ちなんだけど、同じ施設で、早くに引き取られた友人が自殺をする。死後、彼の日記が、主人公に送られてくるんだけど、読んでいてとても苦しくなる。複雑な生い立ちと、引き取られた先の夫婦の不仲、思春期の葛藤、、、。海の中で息ができなくて苦しくてもがいているような感じがした。
こんなことを、こんな混沌を、感じない人がいるのだろうか。善良で明るく、朗らかに生きている人が、いるんだろうか。たとえばこんなノートを読んで、なんだ汚い、暗い、気持ち悪い、とだけ、そういう風にだけ、思う人がいるのだろうか。僕は、そういう人になりたい。本当に、本当に、そういう人になりたい。これを読んで、馬鹿正直だとか、気持ち悪いとか思える人に……僕は幸福になりたい。
この言葉はとても印象的です。「混沌を感じない人がいる」のか、「善良で明るく、朗らかに生きている人がいるのか」私も日々疑問に思っていたからです。
この本の主人公とは切迫度が違いますが、私も、「人生は苦しみであり、それは固体が死んでも人類全体として永遠に続いていく」(悲劇の誕生 ニーチェ)と思っています。

それを以前、ある男性に話したら、
「僕は死にたいと思ったことはないし、《人生は苦しみ》とか考えたことないし、人生楽しいし、その考え方、全く分からない」
と言われて、びっくりしたのを思い出しました。人は誰でも《死にたいけど、頑張って生きている》と思っていたので。

でもその後で
「あ、でもしんどい時もあるかー」
などと、ポツリと言っていたので、そういう人でも、時と場合によっては違う答えをするかもしれません。


主人公が犯罪を犯しそうでありながらも、決定的なことをしなかったのは、施設の育て親の力が大きく描かれています。主人公の話を聞き、喜び、泣き、味方になり、駄目なことを叱り、芸術に触れる機会を与えたことが主人公に大切なものを育ませた。

物語の最後では、死刑囚が芸術に触れて、喜びを見つけます。妙に納得して、もっと芸術に触れようと思いました。

「銃」、「私の消滅」、「教団X」と読んで、社会への疑問と、犯罪を犯す人の普通さを描いている、作者の優しさを感じます。


何もかも憂鬱な夜に
中村 文則
集英社
2009-03