下巻、第12章「認識主義」のところ。ものすごく良いのでそのまま載せる。
 理想郷とはどういうものか、誰もが それぞれの考えを持っている。多くの人にとって理想郷とは、平等で、正義が広く行われ、抑圧から自由であり、仕事から自由である(もっと穏便な人だと、理想郷とは通勤電車に弁護士と携帯電話が紛れ込まない社会のことだと言うかもしれない。どっちにしても、夢物語であることに変わりはないけれど)、そういう社会だろう。
 私にとっての理想郷は認識主義の社会だ。偉い人はみんな認識主義者で、認識主義者が選挙で選ばれる、そんな社会である。そんな社会は、私達の知識に基づくのではなく、無知を認めたうえで治められるだろう。
 ああ、しかし、自分自身が間違いを犯すことがあるのを認め、それを掲げても、権威を認めてもらえたりはしない。人はただ、知識で目をふさがれないと気がすまないのだ。私たちは、人を引き付けるリーダーの後を追うようにできている。集団の中にいることのメリットが、一人でいることのデメリットに追い打ちをかけるからだ。みんなと一緒に間違ったほうへ進むほうが、たった一人で正しいほうへ向かうよりも得るものは大きい。
 私達が遺伝子を引き継いだのは、自分を振り返ってばかりいる頭のいい人についていった連中ではなく、我の強いバカについていった連中のほうだ。社会に現れた症状を診断すれば、それがよくわかる。頭の狂ったやつらが信者を集めている。
 人類の一員でありながら知識が非常に高く、苦もなく豹変できる君子に出くわすことは、ごく稀だ。 
(中略)
…私達は何が間違っているかについては確信をもっていいが、自分が正しいと思うことについては確信を持ってはいけない。
なるほどなるほど。

確かに、そうでなければ、いじめも戦争も、嫌な上司も、人を苦しめる教祖も生まれず、理想郷となるのだろう。私達はみんなで、間違った方向に進んできているのか。

考えることを放棄して、何か大きな強いものについて行きたいという人の弱さもそれに追い打ちをかけている。


ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質
ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社
2009-06-19





ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質
ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社
2009-06-19